子どものニーズをめぐる親と社会の責任
はじめに
昨年、厚生省の「育児をしない男を、父とは呼ばない」というキャンペーンが注目されたが、話題を呼んだこのフレーズの背景には、EUが推進してきた男女機会均等推進行動計画(Action program of equalopportunity for women and men)の基本的理念がある。 我が国でも男女共同参画社会の構想のもと、子育て支援や女性が働きやすい環境の整備など、政府レベルでの取り組みも始まった。その背景には、1980年代から急激に加速した、世界でも類をみない速度で進んだ未婚化、少子化、高齢化の人口変動がある。少子・高齢化はいわば先進社会の宿命であるが、ここでは、いち早くそうした動向に反応し、それをジェンダー政策として展開する中で、子育て支援をはじめさまざまな家族支援政策を押し進めてきたEUの取り組みを紹介してみよう。
1.EUの男女機会均等推進行動計画と「家族」政策
家族政策への舵取り
女性の社会進出を図るために、EUにおいて1970年代から準備され、80年代に入って本格的に動き始めた雇用をめぐる男女平等化政策は、90年代に入ると、子育て支援という形で家族政策としても登場するようになった。雇用の機会均等から始められた平等化政策の推進は、当然の成り行きとして、教育、地域社会、家族をはじめとするあらゆる社会的セクターにおける平等化の進展を促すことになった。とりわけ、女性の職業社会への進出に伴って議論されるようになった幼い子どもの子育て担当の問題をきっかけに、ジェンダー政策の推進は、必然的に家族政策と連携することとなった。
そもそもEUにおいて、家族に直接かかわる政策が登場するのは1980年代後半になってからである。それまでEU委員会は家族の問題に立ち入ることには消極的であった。それには3つの理由がある。 (1)若者、高齢者、健康問題などは、各国間のイデオロギーに相違があり、EU内部の分裂を生じやすい、(2)家庭生活はプライベートな領域であり、国家の干渉を嫌うと考える政府がある、(3)これまで、EU内の主要国が市民権よりも労働者の権利に焦点を合わせていたので、EC時代を通じて家庭の福祉は低い優先順位しか与えられてこなかった経緯がある、というものである。
次代の健全育成への関心
しかし、80年代後半になると、EU各国は積極的に家族に法的位置づけを与え始めた。1989年のEC委員会(当時)報告書においてはじめて、家族が「社会の凝集性と未来に」基本的な役割を果たすことが示され、また、イデオロギーの基盤としてではなく、重要な経済的役割の担い手であるという理由によって、家族がEUレベルのアクションの対象となることが正当化されたのである。我が国と同様、こうした動きの背景には、EU諸国が過去20年間に経験してきた、出生率の激減、結婚率の減少と離婚率の増大、婚姻外の出生やひとり親家庭の増加など、次代の育成にかかわるEU各国共通の課題があったことも事実である。女性の職場への進出を積極的に促し、かつ出生率を回復もしくは維持するためには、子どもが産みやすい、また育てやすい環境整備が不可欠とEUレベルで認識されたのである。
2.職業生活と家庭生活の両立
子育て支援を明確にしたEUの男女機会均等推進第3次行動計画
ところで、今年で第4次を終ろうとしているEUの男女機会均等推進行動計画(アクション・プログラム)の実質的スタートは、1970年代である。一定の準備期間を経て、第1次(1982-85年)、第2次(1986-90年)、第3次(1991-95年)、第4次(1996-99年)と展開されてきたこの行動計画において、明確に「家族」に焦点があてられるようになるのは、第3次行動計画からである。第3次計画では、子育てに関する女性と男性、家族と社会の責任の分担が、EU本部および加盟各国の家族政策として登場してきた。すでに、1986年に第2次行動計画において子育てネットワークが設置されていたが、1991年には「男女の雇用と家族責任の両立に向けた子育てネットワーク」という新名称で強化された。90年代後半からの第4次計画においては、第3次での方針がさらに徹底された。すなわち、男女双方が仕事と家庭生活を両立させるための政策の推進と、政策決定過程でのジェンダーバランスへのいっそうの配慮が目標として掲げられている。
さて、女性の雇用における地位の確立を目指してスタートした男女機会均等推進行動計画の展開過程において、明確に打ちだされてきた理念が「職業生活と家庭生活の両立」である。この背景には2つの動向が考えられる。第1に、家族にかかわる人口学的現象の変化(とりわけ出生率の低下)、第2に、「被用者の権利」から「市民の権利」へという女性政策の転換である。そこで、こうした理念が登場する経緯を、この行動計画を一貫してリードしてきたデンマークの例でみていくことにしよう。
家庭生活はこれでいいのかという疑問
デンマークでは、男女の平等を早くから政策化し、EU域内にあってはスウェーデンの加盟以前には女性の労働力率がもっとも高く、1980年代当時、20~59歳ではゆうに80%を超えていた。子育て期間の落ち込みもなく、男性と同じいわゆる台形型の就労曲線を描く。ところが、そうしたデンマークで、1980年代半ばに家庭生活の現状を疑問視する声があがり始めた。たとえば、「子どもたちは両親をしっかりみているか」「子育てに実際に責任があるのは誰か-親か保母か」「父親は家事に十分参加しているか」「家庭が大事だと言いながら、なぜ親は長時間働いているのか」などの点についてである。これらの議論の背景には、1980年代はじめに1・3台にまで落ち込んだ出生率の急激な低下と、子どもの問題行動頻発への危機感があった。
そこでデンマーク政府は、政府全省を横断する子どもに関する委員会を設置して「家庭生活と職業生活の調和」のプロジェクトを設け、家族の労働時間についての議論を本格的にスタートさせた。その結果、(1)子どもは親と緊密で安定した関係をもつべきである、(2)子どもは子どもとして生活する機会を与えられるべきである、(3)子どもは社会のメンバーである、(4)子どもは責任をもつべきである、(5)子どもは健康な生活をする機会を与えられるべきである、という5項目の合意事項に基づいて、1990年代から政府のすべての省において具体的な取り組みが開始されることとなった。つまり、男女平等化の流れの中で、「子どものニーズと親の責任」がはじめて正面から取り上げられたのである。こうしたデンマークの問題意識と試みは、「家族責任」の理念とともに、EUの第2次、第3次男女機会均等推進行動計画の家族政策への傾斜を急速に促すことになった。
3.「家族責任」という理念の登場-被用者の権利としての親役割の遂行
男女の家族責任という考え方
「家族責任」という言葉が、EU諸国の男女機会均等推進行動計画の公式文書に登場するようになるのは、第3次行動計画からである。そこでは明確な定義はなされていないが、この理念が、そもそもは子どもをもつ労働者の権利として登場してきたことは確かである。1991年にILOの「家族的責任を有する男女労働者の機会及び待遇の均等に関する条約第165号」(通称ILO165号条約)の中ではじめて言及され、1993年にはILOの報告書において「家族責任をもつ労働者」の特集が組まれている。この中で主張されているのは「男女被用者は労働者であると同時に家族責任も有しているのだから、雇用者はそのことに配慮すべきである」という点である。ここで注目されるのは、従来、女性被用者に特定して用いられてきた家族責任の考え方を、男性被用者にも拡大したことである。こうして雇用における男女平等の促進は、90年代に入って親役割を果たす権利として、出産休暇とならんで、育児休業、病児の看護休業、就業時間の短縮、フレックス制の導入など、働き方のシステムそのものを見直す動きとなっている。つまり、子育て、すなわち次代の育成を社会の責任としてとらえ、使用側はそのことに配慮する実質的責任を問われるようになってきているのである。
新しい取り組み
EU各国は、それぞれの事情に応じて上記の理念を政策に生かす努力をしているが、注目されるのはオランダの取り組みである。従来オランダでは、我が国と同様「子どもは母親が家庭で育てるべき」という考え方が国民の間に根強くあったといわれている。今日でも「子どもは家庭で育てるべき」という点は広く支持されているが、異なるのは、男女がそれにあたる方法を国レベルで模索した点である。つまり、オランダ政府、労働組合、使用側の三者が協議のテーブルにつき、男女のパートタイマーでの就労を促進したのである。
オランダ政府は、1996年の新法施行と同時に「1・5稼働モデル」を打ちだし、夫婦合わせて1・5(フルタイムを1とすれば、フルとパートの組み合わせでもよいし、パート同士の組み合わせでもよい)という働き方を推進した。これは、基本的にはジョブ・シェアリングの考え方であるが、それを男女で行おうとしている。それが可能なのは、時間給賃金、社会保険、手当、年金、昇進など、雇用条件をフルタイムとパートタイムでまったく同等にした点にある。もちろん、90年代はじめからの国内諸政党の地道な努力の結果として、パート法改正、諸手当の改正、昇進条件の改正等、徐々に環境と条件が整備されてきたことではあるが、男女で働き、男女で子育てを実践して、「ダッチ・ミラクル(オランダの奇跡)」と呼ばれる、EUで1、2を争う好経済状態を実現したのである。
さて、振り返って我が国での子育て支援のあり方をみると、「社会全体で取り組む」という姿勢・視点がまだ弱いように感じる。デンマークのような保育所、デイケア・センターの充実といった地域での支援体制の面や、オランダのような働き方の支援体制の両面を含め、取り組むべきことはまだまだ多いように思われる。